1997-1998シーズン

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1997-1998シーズン

【1997-1998総括】

長野オリンピックイヤーとなった1997-1998シーズン。2月7日から22日まで長野オリンピックが開催されました。アイスホッケー関係者のみならず、日本はもちろん世界中の人々にとって忘れられない大会となりました。NHLプレーヤーが参加し、世界最高レベルの選手たちが熱戦を繰り広げました。男子で金メダルを獲得したのはチェコ。世界選手権では1997年大会までで7回金メダルを獲得していましたが、オリンピックでは4回の銀メダルが最高成績。長野オリンピックが初めてのオリンピックチャンピオンでした。初の正式種目となった女子では、世界選手権4連覇中のカナダを破り、アメリカがオリンピックの初代女王の座に就きました。
日本代表ですが、男女とも夏には強化合宿をスタートさせ、本番を目指しました。男子代表は合宿以外でも4回の海外遠征を行うなど、40試合以上の試合を行い、本番を迎えました。ところで、男子代表の強化に直結した日系人選手の帰化ですが、1997年12月5日付の官報に4人、同12日付に2人、同15日付に1人の計7人が官報に告示され日本人への帰化が認められました。
女子代表ですが、8月の国内合宿ではフィンランドとの試合を組みました。さらに12月から1月にかけてはカナダ・ヨーロッパ遠征を行うなどして長野オリンピックに備えました。
長野オリンピックですが、男子代表は予選リーグで1分2敗、順位決定戦のオーストリア戦はPS戦の末に4-3で勝利し13位。女子代表は5戦全敗の6位に終わりました。
長野オリンピック後を見据え、将来にわたって世界の上位の仲間入りを果たし、定着させていくには、少年選手の発掘・強化から始めなければなりません。長野オリンピック前から取り組んでいた夏季合宿も強化策の一つでした。学生強化合宿、高校1年生と中学3年生を対象にしたバンタム強化合宿、ジュニア日本代表の選考合宿となったジュニア強化合宿などが、1997年7月から8月にはジュニア世代を含む若手選手の強化も実施されました。強化合宿を行ったものの、世界ジュニア選手権ではCプールへ落ち、アジア・オセアニアジュニア選手権でも韓国に敗れ2位に終わってしまいました。好結果を生むことはできませんでしたが、この結果は計画的なジュニア選手の育成と強化の必要性を指摘していました。
「アイス」ではありませんが、「インラインホッケー」を1998年から日本アイスホッケー連盟として登録を開始しました。同時に1998年6月には第1回インラインホッケー全日本選手権が開催されました。

【1997-1998日本代表】

男子日本代表は1997年4月に行われた体力測定をベースに、北海道組(王子製紙、日本製紙クレインズ、雪印)は6月上旬から、本州組(コクド、西武鉄道、古河電工、大学生)は7月から、候補選手が集まりトレーニングキャンプを行いました。その後、8月には日系人7選手を加えた候補選手がセレクション合宿行い、ヨーロッパ遠征メンバーが選ばれました。
1997年8月から9月に行われたヨーロッパ遠征ではクラブチームを中心に13試合(1勝12敗)、同年10月のカナダ・カルガリー遠征では5試合(2勝1分2敗)、同年10月から11月のノルウェー・スイス遠征ではフランス代表などと6試合(1勝2分3敗)、同年12月のスイス・フランス合宿では6試合(3勝3敗)行いました。海外遠征以外では国内合宿中などに日本リーグチームなどとも試合を行いました。その後、オリンピック直前の1998年1月から2月には国内でフランスやオーストリアなどと試合を行い、40試合以上の試合をこなして本番を迎えました。
2月7日から22日まで開催された長野オリンピック。予選リーグでドイツに1-3、フランスに2-5、ベラルーシに2-2の1分2敗でB組4位に終わり、A組4位のオーストリアと戦う13-14位決定戦に回りました。オーストリア戦は3-3のまま延長戦でも決着が付かずPS戦へ。5人ずつPS戦もお互い譲らずサドンデス方式にもつれ込み、日本が勝利し、最終戦を白星で終えました。
長野オリンピックから2カ月後の5月1日から17日までスイスで開催された1998世界選手権Aプールに参加しました。今大会から参加国が12から16に増え、4つのグループを4カ国ずつに分け、予選リーグが行われました。日本は長野オリンピックチャンピオンのチェコ、ドイツ、ベラルーシと同組になりました、初戦のチェコに2-8、第2戦のドイツに1-5、第3戦のベラルーシに4-6と3連敗、本選ラウンド、9-12位決定戦に進めず、14位(予選リーグの成績により)に終わりました。来シーズン(1998-1999シーズン)の1999世界選手権Aプールの出場権を得るには、極東予選となるアジアカップ(1998年9月開催)での勝利が絶対条件となりました。

ジュニア日本代表は1997年12月28日から1998年1月4日までポーランドで行われた1998世界ジュニア選手権Bプールに参加しました。試合方式が前回とは異なり、参加8カ国を4カ国ずつ2グループに分けて予選リーグを実施。各組上位3カ国が決勝リーグに進み、4位同士が3回戦制の7-8位決定を行う方式に変更されました。予選リーグで日本は、初戦のフランス(2-8)、第2戦のラトビア(5-8)と2連敗スタート。第3戦のハンガリーに引き分けた(5-5)ものの1分2敗で予選最下位となり、Bプール残留を賭けてノルウェーとの7-8位決定戦に臨むことになりました。初戦は4-6で敗れましたが、第2戦は延長戦の末に4-3で勝ち、第3戦が大一番となりました。先手を奪われ苦しい展開の中、第3ピリオドに反撃を試みましたが、1-4で敗れ最下位となりCプール降格になりました。

アジア・オセアニアジュニア日本代表は1998年3月15日から21日まで中国・ハルピンで行われた1998アジア・オセアニアジュニア選手権に参加しました。参加国はカザフスタンが抜け、日本、中国、韓国に加え、オーストラリアが復帰し、ニュージーランド、タイが新たに加わりました。6カ国の1回戦総当たりで行われ、日本は初戦のタイ(58-0)、第2戦のニュージーランド(38-0)と圧勝しました。第3戦の韓国には2-2と引き分けました。韓国に勝てなかったことが最後に響きました。第4戦のオーストラリアに25-0、第5戦の中国に7-1と勝利し、4勝1分となり、韓国と勝点で並びました。直接対決で引き分けであるため、全得失点差で韓国に及ばず、2位で大会を終えました。

女子日本代表は、長野オリンピックに備え、1997年8月の伊香保合宿ではフィンランド代表と5試合(5戦全敗)行いました。また12月から1998年1月にかけてはカナダ・ヨーロッパ遠征を実施。カナダではクラブチーム相手に3勝1分2敗、ヨーロッパでは5カ国が参加したクリスマスカップに参加し、ロシア(0-4)、ドイツ(1-2)、スイス(3-4)、デンマーク(3-1)に1勝3敗の結果でした。
そして迎えた長野オリンピック。初戦の中国に0-6、第2戦のカナダに0-13、第3戦のフィンランドに1-13、第4戦はアメリカに0-10、スウェーデンとの最終戦は0-6と5戦全敗の5位で、オリンピックでの戦いを終えました。

【1997-1998主な日ア連主催大会】

第65回全日本選手権Aグループ(1998年4月14日~19日@苫小牧・苫小牧市白鳥アリーナ)

参加チームはこれまで通り日本リーグ6チームでしたが、前回までのトーナメント方式から6チームを3チームずつの2グループに分けての予選リーグを行い、各組上位2チームが決勝トーナメント(準決勝、決勝)、予選3位同士が順位決定戦に回る方式に変わりました。
予選A組ではコクドが日本製紙クレインズに7-4、古河電工に4-2と全勝で1位通過。2位は古河を6-1で破った日本製紙でした。予選B組は王子製紙、西武鉄道、雪印がいずれも1勝1敗で並びましたが、得失点差で1位・王子、2位・西武、3位・雪印になりました。
準決勝は王子が日本製紙との延長戦の戦いを5-4で制して決勝へ。コクドも西武を3ピリに逆転して4-3と勝ち上がりました。日本リーグとの2冠を目指すコクドと無冠返上に燃える王子との決勝は、先取点を奪われたコクドが2ピリに逆転し、4-1で勝利。2シーズン連続6回目の優勝を果たすとともに、23シーズンぶり2回目の日本リーグとの2冠を達成しました。

第32回全日本選手権Bグループは1998年3月6日から8日まで北海道・苫小牧で16チームが参加し、トーナメント方式で行われました。決勝は釧路アンアンが吉田産業を3-1で破り、初優勝を飾りました。

第17回全日本女子選手権Aグループ(1998年3月13日~17日@帯広・帯広の森アイスアリーナ)

前回同様、参加8チームを4チームずつの2ブロックに分け、予選リーグを実施。その後、各組の同順位同士で順位決定戦を行いました。予選A組では大会4連覇中の岩倉ペリグリンが地力を発揮。3戦全勝で1位通過しました。B組では釧路六花亭ベアーズとコクドレディースの争いと見られ、直接対決を3-1で制した釧路六花亭ベアーズが岩倉ペリグリンとの決勝に駒を進めました。決勝では2ピリに3点を奪い突き放した岩倉ペリグリンが6-1で釧路六花亭ベアーズを下し、5年連続9回目の優勝を成し遂げました。
第2回全日本女子選手権Bグループは1998年3月12日から15日まで愛知・名古屋で17チームが参加し、トーナメント方式で行われました。決勝は積水ハウスが3-1で後楽園女子を退け、優勝を飾るとともにAグループへの昇格を決めました。

第32回日本リーグ(レギュラーリーグ:1997年10月11日~1998年3月22日・6チーム8回総当たり/プレーオフ・セミファイナル:1998年3月26日~29日・3試合2戦先勝方式/プレーオフ・ファイナル:1998年4月2日~5日・3試合2戦先勝方式)

第32回日本リーグは、長野オリンピック開催を踏まえ、これまでとは大きな違いがありました。レギュラーリーグは40試合行われ、プレーオフには4位までのチームが進出。これは過去に経験済みでした。
大きな変化となったのは、昨季リーグ(第31回日本リーグ)とは異なり、長野オリンピックの代表候補選手は、日本代表チームの活動が優先され、原則的に日本リーグに出場できないことでした。これは各チームに大きな影響を及ぼすと見られました。またレギュラーリーグの日程も各チームが30試合を消化する長野オリンピック開催前の1月17日で一時中断。長野オリンピックを経て、代表組が復帰し3月1日から再開し残り10試合を戦うことになりました。
代表組不在で始まったレギュラーリーグ。30試合終了時点で1位コクドから6位の日本製紙クレインズまでの勝点差は11、特に4位古河電工と日本製紙の差はわずか5点の大混戦でした。混戦を受けての代表組が復帰した3月1日からの残り10試合で、1位コクド、2位王子製紙、3位雪印、4位西武鉄道、5位古河、6位日本製紙となり、プレーオフ・セミファイナルはコクド対西武、王子対雪印となりました。
セミファイナルでコクドは西武に第1戦が4-2、第2戦が2-6、第3戦が6-2の2勝1敗で、雪印は王子に第1戦はPS戦までもつれた末に4-3、第2戦は3-2と2連勝でファイナルへ勝ち上がりました。
ファイナルでコクドは雪印に第1戦は4-1、第2戦も6-1と2連勝。3シーズンぶり8回目の日本リーグの栄冠を手にしました。

第53回国民体育大会(1998年1月24日~28日@岩手・盛岡)

成年の部は28都道府県が参加し、決勝戦で東京が栃木を14-0で破り2年ぶり16回目の優勝を果たしました。少年の部では14都道府県が参加し、決勝戦で北海道が青森を7-0で破り10年連続48回目の優勝を成し遂げました。

第3回全日本オールドタイマー大会(1998年4月4日~5日@長野・軽井沢)

4チームが参加し、トーナメント方式で行われました。決勝は東京キングスとバンスターの東京対決となり、東京キングスが5-4で勝ち、初優勝を飾りました。

第70回日本学生氷上競技選手権・インカレ(1998年1月4日~7日@北海道・苫小牧)

29校が参加。決勝戦は2回戦で立命館、準々決勝で中央、準決勝で同志社を破った東洋と、2回戦で慶應義塾、準々決勝で日本大、準決勝で明治を破った法政が対戦。先取点を奪われた東洋でしたが2ピリに逆転すると4-2で勝利を収め、3年連続4回目の優勝を飾るとともに、春季関東選手権(1997年4月開催)、秋季関東大学リーグ(1997年10月~12月開催)、そしてインカレの3冠を達成しました。

第47回全国高校選手権・インターハイ(1998年1月19日~22日@青森・八戸)

28校が参加。決勝は2回戦で北海道桜丘、準々決勝は北海、準決勝で白樺学園を破り5連覇を目指す駒大苫小牧と、1回戦で日光、2回戦で釧路江南、準々決勝で釧路工業、準決勝で釧路緑ヶ岡と、強豪・古豪を撃破し初の決勝進出を決めた埼玉栄が対戦しました。北海道勢以外の決勝進出は日光に次いで2校目。勢いに乗っていた埼玉栄でしたが、駒大苫小牧が1ピリから強さを見せつけ、9-2で埼玉栄を退け、5年連続17回目の優勝を飾りました。

第18回全国中学校アイスホッケー大会(1998年2月2日~4日@北海道・釧路)

16チームが参加して行われました。決勝は1回戦で神奈川県選抜、準々決勝で八戸二、準決勝で日光中宮嗣を破った釧路景雲と、1回戦で信州大附属、準々決勝で群馬県選抜、準決勝で宮城県選抜を破った釧路鳥取が対決。釧路勢対決の決勝は釧路景雲が5-4で、初優勝を勝ち取りました。

第22回全日本少年アイスホッケー大会(1998年3月28日~30日@青森・八戸)

小学生の部
12チームが参加。苫小牧選抜は2回戦で東京都選抜、準決勝で札幌選抜を破り決勝進出。釧路選抜は2回戦で神奈川県選抜を、準決勝で帯広選抜を破り決勝へ進出してきました。決勝では苫小牧選抜が3-2で勝利し、5年ぶり15回目の優勝を飾りました。
中学生の部
12チームが参加。2回戦で栃木県選抜、準決勝で帯広選抜を破った札幌選抜と、2回戦で宮城県選抜、準決勝で釧路選抜を破った苫小牧選抜との間で行われました。決勝では札幌選抜が苫小牧選抜を6-3で破り、初優勝を成し遂げました。

第1回インラインホッケー全日本選手権(1998年6月19日~21日@長野・野辺山)

日本アイスホッケー連盟の組織にインラインホッケーが組み込まれた後、これまで行われてきた「全日本オープンインラインローラーホッケー全日本選手権」の名称を改め、第1回インラインホッケー全日本選手権が開催されました。Aプールは12チーム、Bプールは13チーム、Lプール(女子)は9チームが参加し、いずれもトーナメント方式で行われました。Aプールではトルネードスがノヴァエクスプレスを、Bプールでは松戸サニーランダースが岐阜コーモランツを、女子ではプチMAXがNAGANO’98を、それぞれ決勝で破り、各グループでの初代チャンピオンに輝きました。

【その他の大会・出来事】

長野オリンピック

1998年2月8日から22日まで開催された長野オリンピック。日本で冬季オリンピックが開催されたのは1972年の札幌以来2回目のことでした(夏季大会は1964年の東京大会も開催。その後2022年にも東京で開催)。

国際アイスホッケー連盟、NHL、NHLPA(選手会)が合意し、NHLプレーヤーが参加して行われた男子の出場国は14カ国。その内、カナダ、アメリカ、ロシア、スウェーデン、チェコ、フィンランドの6カ国はシードされ、決勝リーグ(C組とD組)からの参加。予選ラウンドでは残り8カ国を2つの組(A組とB組)に分け、それぞれ1位の国が決勝リーグに進出。決勝リーグでは8カ国を2つの組に分けて1回総当たりのリーグ戦を行い、決勝トーナメントの対戦カードを決めました。予選ラウンドを勝ち上がったのはベラルーシとカザフスタン。この2カ国を含めた決勝リーグの順位は、C組は1位ロシア、2位チェコ、3位フィンランド、4位カザフスタン、D組は1位カナダ、2位スウェーデン、3位アメリカ、4位ベラルーシとなりました。一発勝負の決勝トーナメント。準々決勝は、チェコがアメリカを4-1、ロシアがベラルーシを4-1、カナダがカザフスタンを4-1、フィンランドがスウェーデンを2-1で破り、準決勝へ進出。準決勝ではロシアがフィンランドを7-4で破り決勝に進出。もう一つ準決勝は延長でも決着が付かず、PS戦の末にチェコがカナダを2-1で破り、決勝へ駒を進めました。チェコとロシアの金メダルを巡る攻防は、1-0でチェコが辛勝。オリンピックで初めて金メダルを獲得しました。決勝リーグに進めなかった6カ国は順位決定戦を行いました。最終順位は次の通りです。1位:チェコ、2位:ロシア、3位:フィンランド、4位:カナダ、5-8位:ベラルーシ、カザフスタン、スウェーデン、アメリカ、9位:ドイツ、10位:スロバキア、11位:フランス、12位:イタリア、13位:日本、14位:オーストリア。

正式種目となり初めて行われた女子。参加6カ国が1回総当たりリーグ戦を行い、上位2カ国が決勝戦、3位と4位で3位決定戦が行われました。予選ラウンドではアメリカが全勝で通過、2位は4勝1敗のカナダで、二強の勢力図は変わりませんでした。以下、3位はフィンランド、4位中国、5位スウェーデン、6位日本となりました。決勝のアメリカ対カナダはアメリカが3-1で勝利、世界女子選手権では過去4大会、カナダの前に敗れていた雪辱を果たすとともに、初代のオリンピックチャンピオンに輝きました。最終順位は次の通りです。1位:アメリカ、2位:カナダ、3位:フィンランド、4位:中国、5位:スウェーデン、6位:日本。

97NHL日本公式開幕戦「GAME One JAPAN 1997」開催

1997年10月4、5日、東京・国立代々木競技場で、97NHL日本公式開幕戦「GAME One JAPAN 1997」が行われました。対戦カードはアナハイム・マイティダックス対バンクーバー・カナックス。2試合とも会場には1万を超えるファンが駆け付け、世界のトッププレーを堪能しました。
さらに長野オリンピック期間中の1998年2月19日、来シーズン(1998-1999シーズン)もNHL公式開幕戦を日本で開催することがNHLより発表されました。対戦カードはカルガリー・フレームス対サンノゼ・シャークス。1998年10月10、11日に東京・国立代々木競技場で行わることになりました。

第1版:2025年9月30日・記

<主な参考文献>
日本アイスホッケー年鑑 平成9年-平成10年 第17号(発行:財団法人 日本アイスホッケー連盟)
アイスホッケー・マガジン 1997年9月号、11月号、12月号、1998年1月号、2月号、3月号、4月号、5月号、月号、7月号、9月号(発行:ベースボール・マガジン社)
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